森山大道に憧れて

本を読むか、映画を観るかして自分の思考を誰かに託したい時がある。その方が自分で何かを考えるよりは、誰かの思考に浸かっていた方が気持ちが楽だからである。そして、余計なことを考えずに済むし、全部、その誰かさんのせいにしておけばいい。そんな無責任な考えが、ふと頭をよぎることがある。

話は変わる。

学生の頃は、ほぼ毎日のように本屋によって好きな作家の新作が出てないかチェックしたものだ。ネットで見れば新作が出てるか出てないかは、分かるんだけれども、やっぱり、たまたま本屋に行ったら、たまたま新刊が出てたということを知った時の喜びを一度知れば、本屋に行くことに意味はあるだと思える(チェックしてたのは、カズオ・イシグロポール・オースター村上春樹くらいでそんなに多くは無いんだけれども)。最近は、色々と忙しくて本屋に行くのも1週間ないしは2週間に1回となった。学生の頃に比べれば、本を読む時間は減ったし、月に読む冊数も減ってしまった。これは考えものである。

話は変わる。

人の話は聞いたほうがいい。できれば真摯に、できればありとあらゆる想像力を使って、その人の事を考えながら。

話は変わる。

友達が結婚する。ぼくには恋人ができない。
女性と話す機会もない。それでもやはり、ぼくの人生はYESだし、素晴らしいと思ってる。

話は変わる。

写真はいい。この前、SIGMA dp Quattro2を買った。このカメラは悪くは無いんだけど、夜間の撮影にはかなりの困難を極める。まず三脚が無いと無理。ブレる。そんなわけで、この前、RICOH GRIIを買った。このカメラは、レスポンス良し、夜間の撮影良し、写真も綺麗に撮れる。すごく軽くて、ポケットに入るので街で撮るにはうってつけのカメラだ。写真家の森山大道になれるような気さえする(それは無理か)。このカメラを持ったときのぼくの気分はロベール・ドアノーやアンリ・カルティエブレッソンロバート・フランクに、ソール・ライターのようになる。もちろん、SIGMAのカメラもその圧倒的な描写力はいいんだけどね。


(深夜2時 とある街路樹)

夜の撮影は楽しい。通勤、通学で使う道の夜の顔を知ってる人は果たしてどのくらいいるのだろう。車一台通らない大通り、終電後の無人のプラットホーム、踏切、公園、病院、その他諸々。20年以上同じ街に住んでいながら、あまり気にしてこなかったことではあるけれど、カメラを持って夜の街に駆け出したら、シャッターを切らずにはいられないくらい、魅力的な物があちこちにあった。誰もいない通りに、ぼくは立っていて、写真を撮る。その写真を見れば、同じ時間に、別の場所で、奴らが存在していたことについて、くよくよ考えてしまう。深夜3時頃に目が覚めて、どこそこの通りのポストがどうなってるかなんて、考えたことあるだろうか?写真を撮るまでぼくはなかった。でも、いまは時々考えるようになった。夜の街について。誰もいなくなった通りを走る誰かがきっといることを祈って。

BRUTUS(ブルータス) 2016年 3/1 号 [雑誌]

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