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懐かしい思い出。

ある高校の時の友達から年賀状が届いた。名前を見たとき、このデジタルなご時世に年賀ハガキを送りたいと思う古風な人もいるもんだ、と思って、少し頬が緩んだ。 そもそも年賀状を出そうと思う同年代の人は周りにいない。


年賀状を裏返すと簡潔なメッセージが書かれていた。どうやら今年から関西の方で勤務することになった、と。だから、それまでに一度会いたいということだった。

そのメッセージを読んだとき、僕はなんだか寂しくなってしまった。

僕は高校の頃に友達と言える友達はほとんど作らなかった。一緒にいても刺激も無く、くだらないテレビドラマを見てた方がまだましなような連中ばっかりだったからだ。かなり高慢な人間だと思う。
それ以外にも問題はあった。

その中の一つに家族にトラブルがいくつも起きて精神的に苦しかったことだ。学校では僕は心を閉ざし続けていたと思う。父親から終始怒鳴られていたような気がする。顔に弁当箱を投げつけられた時もあった。夫婦喧嘩は絶えず、朝起きるとよく一階から口論が聞こえたりしたものだ。困ったことに、部屋から漏れるテレビの音さえも口論をやってるのかよと思うくらいに多かったのだ(今でもその幻聴は良く耳にしてしまうのだが)。

そんなことがあったので、僕は精神的に参っていて、友達と遊んだり、話をしたり、とにかく人と関わることを避けていた。ちょっと楽しいことがあっても、家に帰れば絶望が待っている。修学旅行から帰って来た子どもが、家に入ったなり理不尽にぶん殴られるようなもんだ。楽しい思い出話しも、お土産も、全部、ドブの中に捨てられてしまったような、そんな感じなのだ。その感情の起伏に僕の身体がついていけなかった。精神的にではなく、身体的に、である。

まあ、それは良いや。 
とにかくそんな状況の中で、僕が唯一、話をしたのが年賀状を送ってくれた彼女だったのだ。彼女といると心から落ち着くことが出来たし、大らかで、よく笑い、よく喋り、気が利く子で、ちょっと繊細な一面もあった。なにより、一緒にいると現実逃避が出来るということだった。あらゆる問題を忘れさせてくれる。彼女はそんな存在だったのだ。

年賀状を送り合うようになったのは高校2年生の時だったと思う。マフラーに顔をうずめ、ストーブの前から離れられなくなるような、そんな寒い季節だ。街はクリスマスカラーで一色だったし、みんな来るべき時に備えてると言ったような感じだ。

学校もそろそろ終わろうとしていたある日、「私に年賀状を送って欲しい人!」と僕にこう言ってきたのだ。
持ち前の明るさで。

僕はノートを切って、住所と郵便番号を書いて彼女に渡した。次の年にはきっちり1月1日に年賀状が届いた。

だから僕もそれを返した。それからずーっと22歳になった今でも続いている。年賀状歴5年である。

彼女とは大学に進学してからは疎遠になっていって、連絡もほとんど取らなくなった。でもなぜか、彼女のことをふとどこかで思い出すことがあったし、まあ、近くに住んでるから会おうとすればいつでも会えると思っていたのだろう。

近過ぎると物が見えなくなってしまう。

今年送られてきた年賀状を読むと、急になんだか寂しくなってしまって、こうして、徒然と文章を書いているわけだ。

たぶんこれから会おうと思っても、会う機会がなくなってしまうという事に対して悲しんでいるのかもしれない。予定も合わすことさえできない。文字通り無くなってしまうのだろう。

どうしてもっと早くに彼女と会ったり、遊んだり、話したり、そういったことをしなかったのだろうと、後悔した。別に恋心を抱いていたわけじゃない。1人の友人として、一緒に時間を共有したかったのだ。

でもまあ、彼女には彼女の人生があり、僕には僕の人生があるから仕方のないことだ。それぞれ迎える朝が違うように、それぞれ違った時間の使い方があるように、決して共有することはできない。唯一、学校だけが共有できる場だったのかもしれない。

うーん…悲しくなる。
年に一度、彼女のために手紙を送ろうかな。いや、やめておこう。