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ベトナムに行ったので、スケッチ的な文章を書く。

旅行記

去年の夏にベトナムに行ってきた。

3泊4日で。記憶が色褪せる前にスッケチ的文章で残して置く。

1日目

空気とクラクションについて

ベトナムに降り立ってまず感じたことは、空気が違うということだった。具体的になにがどう違うのかは説明出来ないが、日本の空気とベトナムの空気とはその質がはっきりと違うという事が分かった。海外に行くときにはいつもそれを感じる。空気の肌触りや鼻から入ってくる空気の匂いの違いに敏感に反応してしまうのだ。空港に降り立ってから、送迎バスが来るまでの間(それはずいぶん長く感じた)、暑さのせいで汗が体中から吹き出した。それにクラクションがあちこちで鳴っていた。日本では滅多に車のクラクションの音を耳にすることはないから、あちこちで事故が起ころうとしているのかと不安になった。ベトナムのじいさんか、ばあさんが車道に飛び出したのかもしれないし、車が信号無視をして割り込んできたのかもしれない。これからバスに乗るというのに、そんな目に合されなければならないのか?と、不安は募るばかりだった。バスに乗ってからは、その車のクラクションを鳴らすというのは、ベトナムの車やバイク社会の1つの文化であったというのを痛感する。なにせ信号機がほとんど無かったからだ。追い越せ、追い抜けで、後ろからバイクが走り去っていく。バスの周りには無数のバイクが取り囲んでいただろうと思う。クラクションは「ちょっと、右に入るからどいてくれよ」という程度のものでしかなかった。日本のそれとは大違いである。

 

ホテルについて

僕はもっとおんぼろのホテルを想像していた。これも1つの衝撃だった。東南アジアの貧困が、というのは日本の中では貧困を語る上で一種の決まり文句のようだったから、ホテルの外観、内装を見て驚いてしまった。テレビもあるし、電気は点いている、エレベータも正常に動けば、パソコンも三台机の上に並んでいる。日本のビジネスホテルと大して変わりはないように思えた。部屋の中もベッドが二つ綺麗に並び、テレビはあり、シャワーはきちんとお湯が出る、トイレの水だって流れる(詰まって、汚物が溢れやしないかと心配したものだ)。僕はためしにホテルの水道水を飲んでみた。きっと1分かそこらしたら下痢をするだろうと踏んで、手に胃薬を持っていたが、何時間経ってもお腹は壊さなかった。

夕食の前に、僕はホテルの中をあちこちと探索した。階段を昇り、降り、昇り、降り、ホテルの清掃員と軽く挨拶を交わした。「チンシャオ」は通じたのだが、それ以外の言葉はからっきしダメだった。ベトナム版の地球の歩き方は、あまり役に立たない。

 

食事について

屋台で夕食を取った。333ビールやサイゴンビールの味は薄かった。ベトナムの平均気温は20℃くらいだから、このくらいの薄さのビールが丁度良い。サッポロビールヱビスビールのような濃いものは、ベトナムでは飲みたくない。日本のビールやハイネケンといった輸入ビールは少し値段が高かった。生野菜が新鮮で、シャキシャキしていて美味しかった。カエルも素晴らしかった。それにしても、あの屋台で働いている学生(らしい)の時給はいったいいくらなのだろう?僕はそれが気になってしょうがなかった。日本からベトナムに来るのは大したお金じゃないが、ベトナムから日本へ行くとなるとかなりの額になるのではないだろうか。それにしてもベトナムドンのインフラには頭を悩まされた。250円が5万ドン。5万ドンと言われれば、すごい大金を手にしたような気がする。ビール一杯、日本円で38円だった。はたして何ドンなのだろう。

 

2日目

 信号機について

信号機はほとんどない。バイクも右から左へと止まらずに走ってくる。だから、通りを渡る時には、間違っても止まってはいけない。また集団で渡るのも危ない。バイクの避け道が無くなってしまう。1人で、するする~とバイクを抜けるように渡るのがコツだった。これは最終日までなれなかった。何度か、バイクの運転手と睨めあいっこした。

 

マシンガンを持っている警備員について

緑色の軍隊のような制服を着たベトナム人の両手にはマシンガンが握られていた。僕はそれを見た時、ドキッとした。「それは、偽物なのだろう?」と声をかけてみたら、銃口を少し動かしたので、すぐに逃げた。銃なんて日本では日常的に目にするものじゃない。ベトナムでは、銃があるというのは一つの日常なのだろう。日本は平和だと、少し思った。銃が無いというのが日本の日常だ。だからその分、日本は平和なのだろうと思ったのだ。銃を持った警備員がズラーと並んでいる前を歩くたびに、僕は緊張しなければならなかった。それは3日目のクチトンネルツアーでゼミ生が実弾を打っている時まで続いた。あの空気を切り裂く音を聞くだけでも、自分は破裂してしまいそうだった。僕は銃よりも竹やりで良い。でもなかには能天気な警備員もいた。その警備員は日本のことが好きらしくて、日本語を勉強しているということだった。「サザンオールスターズ知ってる」とその警備員が言ったので、真夏の果実を一緒に歌った。最後は肩をたたき合い、握手して、別れた。

 

戦争証跡博物館について

日本にも原爆資料館があり、戦争を伝えるものはあるのだが、この戦争証跡博物館は戦争の姿を生々しく伝えていた。戦争という負の側面を1つも隠してはいないようだった。枯葉剤で体が変形している子どもや、頭がパンパンに膨れあがった子どもの写真。アメリカ兵がベトナム人をロケットランチャーで打ち抜いた写真。米兵が上半身だけになったベトナム人を手に持ち、カメラに向かって笑みを少し浮かべている写真。これが戦争である。

ところでこの戦争証跡博物館には日本以外の海外人も多かった。アメリカ人と思しき人達は、これらの写真を見てなにを思うのだろう?博物館の外に拷問と監獄が行われたことを示すコーナーがあった。監獄の中に放り込まれたベトナム人(模型ではあるが)は、顔から血を流し、体は骨と皮だけであった。アメリカ人の女性が1人話しかけてきた。「あまりに酷い」と言っていた。

 

3日目

クチトンネルについて

 クチトンネルツアー中、ガイドさんがトンネルについて話をする場面があった。最初はニコヤカに話していたのだが「これ以上は、軍事秘密です。また、戦争が起こったら、このトンネル使う」と言い、目がすこし恐くなった。たぶん、本気でそう言っているのだろうと思った。戦車が林の中に放置され、トンネルの入口や出口があり、爆弾の衝撃で出来た大きな穴もある。林を奥に奥に行くと実弾を打てる射撃場があった。もちろん何人かの人たちがパンパンと音を立てて銃を打っている。空気を切り裂く音。僕は最後の実弾が恐くて仕方が無かった。何かの拍子で、弾が巡るに巡って全く関係の無い僕の瞳に飛んで来やしないかと不安だったのだ。それしか覚えていない。いや…その他にもあったんだ。まずクチトンネルというのは日本だと観光地の一つとして数えられるのだが、現地では違う。そこは軍事施設なのだ。だから、販売員や警備員は軍人であり公務員である。全世界の公務員が往々にして、定時に帰りたがるように、このベトナムの公務員も定時以外には仕事を一切やらなかった。射撃場の近くにお土産屋があり、ジッポライターが欲しかったので店員に「これ欲しいんだけど」と言うと「もう、だめ店終わった」とベトナム語で言い、胸の前でバッテンのジェスチャーした。オイオイ、そんなのってあるか。だってここに5時で閉まるって書いてあって、今、5時10分じゃないか!いいじゃないか10分くらい…と思ったのだが、こんなことを説明するのも大変だし、日本語はわからない、英語もましてやわからない相手にどう説明したって無理な話なのだ。キリンに向かって「明日の飛行機はちゃんと飛ぶのでしょうか?」と聞いてるようなもんだ。そんなこんなで、僕はベトナムの公務員にぷんぷんしたわけだった。


思えばホーチミンシティからクチトンネルまで随分と長かったような気がする。寝て起きて、寝て起きてもまだ延々とバスは走り続けていた。コンクリートで舗装されているものの、なんだかデコボコしてる砂利道のような錯覚に陥るくらいにバスは揺れた。それにだ。市の中心であっても郊外であってもバイクの量は変わらない。ひっきりなしにバイクが追い抜け、追い越せで走ってくる。

時々、30万トン級のトラックが対向車線から走って来る。日本の道路みたいに、中央に線が引かれていて右と左で別れていないもんだから、道路のどこをどう走るのかは運転手のフリーハンド車線による。なので、トラックと衝突寸前というくらいギリギリですれ違うことも。僕は相変わらず、リュックに詰めておいた生ぬるいサイゴンビールを飲んで恐怖を紛らわしていた。

 

最終日の夜

つまり3日目の夜ということだが、クチトンネルツアーからバスで延々と走り続け、ホテルに着いたのは7時頃だ。まだ時間はある、良し。ホテルの近くにある屋台でタバコを3箱買う。何ドンだったか。確か10万ドンくらいじゃなかったかな(500円くらい)。クラクションはあちこちで鳴っている。屋台には若い人がずらりと並び「なんだこの中国人みたいな奴は?」といった視線を投げかけてくる。「おうおう、違うんだ、俺はジャパニーズなんだよ」と説明したい気分になる。ベトナム人は中国があまり好きじゃない。とにかく屋台に入り、フォーを頼んだ。フォーを食べていたら太ったおっちゃんが来たんで、英語とスペイン語で話す。なぜスペイン語で話したのか分からない。

「日本から来たんだ」

「え?なんだって?日本?」と太っちょが店員と確認し合う。

「そうよ、日本だって」と店員が大きな声で言う。

クラクションの音が声を曇らせる。

「へい、じゃっぷ」と太っちょが話かけてくる。言語は通じない。

その時には既に僕はフォーを平らげていて、お腹いっぱいだった。

「へい、じゃっぷ、もう一杯食わないか?」と言われる。

「ノー」と言って、臨月を迎えた母親がお腹をさするようなジェスチャーを交えながら伝えた。

「へい、じゃっぷ、満杯なのか?」ベトナム語は分からない。

「そうだ、俺はお腹いっぱいだ」

「おい、向こうにサンドウィッチがあるぜ?」と言う。

肩をポンポンと叩かれ、もう1つの屋台に連れて行かれる。

フォーの屋台のおばさんが「お金!」と怒る。Quieres dinero?

サンドウィッチを頼んで、太っちょにサンキューを言う。

「じゃあな、じゃっぷまた会おうぜ」と言って股間を触られる。

仕方ないので、おれも太っちょのお腹をさすって「さよなら」と言った。

クラクションの音は少しボリュームが落ちたようだった。もう1つの屋台に入り、サイゴンビールと333を頼んだ。あとハイネケンと。現地の生水の氷を店員がグラスに入れる。(おいおい、下痢しちまうよ)と思いながらそれを眺める。そこから記憶はない。僕は酔いつぶれてストリートで寝ていた。幸いにもお財布は取られていない(良かった)。ベトナム、治安良いぜ。

 終わり。

また詳しく書くよ、そのうち。

※危ないので、寝ないように。

 

D21 地球の歩き方 ベトナム 2013~2014 (ガイドブック)

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