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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

ここ2年間は、村上春樹の小説ばかり読んでいたように思います。もちろん、他にも好きな作家もちょくちょく読んでいます。ヘルマン・ヘッセドストエフスキーツルゲーネフチェーホフスタインベックサリンジャーヘミングウェイなどなど、数を挙げれはキリがありません。まあ、これらの作家の本は村上文学にちょっと飽きてきたな、と思った時の息抜きとして読んでいました。

 
思えば、デビュー作から体系的に読んでいるのは村上春樹だけです。デビュー作である「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンス・ダンス・ダンス」の青春四部作。ヨーロッパ滞在中に仕上げた村上春樹初のリアリズム小説「ノルウェイの森」などなど、他にも読んだ本はたくさんあります。
 
最初、これらを読んだ時の感想はなんだか良く分からない…の一言でした。一体、何を伝えたいんだ?とも思いました。それでも初めて読んだ時は、「文章のテンポが良くて、まるで一つの音楽を聞いているかのように流れてる」とか、「文章がとてもリズミカルだ」という風には、思いました。でも、何を伝えたいのか?という点に関してはさっぱりでした。
 
んで、気持ち悪い状態のまま春樹作品を10冊、20冊、30冊と読んでいくうちに、テーマはこれだったのか!と腑に落ちた作品がありました。それは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。結論から先に述べると、村上春樹の文学は「秩序と個人」をテーマにしているように思います(というかWikipediaでそう書かれていました)。
 
色々と読んできて、村上春樹の文学を読み解く鍵は「秩序と個人」にありそうである。というのが僕のなんとな〜くの解釈です。「秩序と個人」ってなんだよ?と思うかもしれませんが、分かりやすいのは「羊をめぐる冒険」。この小説は、主人公と鼠が翻訳を仕事にしてお金を稼いで生活を送っています。最初は苦労するも、ようやく仕事も増えて軌道に乗ってきた、というところで良く分からない人がやってきて、会社を潰すぞ、と脅されるところから物語は始まります。
 
また「神の子どもたちはみな踊る」の短編小説の中で「カエルくん東京を救う」というお話があります。この話も主人公はささやかな生活を送っているのだが、カエルくんが突然現れて、生活が乱れるところから話は始まります。
 
この二つに共通してるのは、自分で作り上げてきた秩序が突然、何者かによって脅かされる。というのが挙げられると思います。秩序なんてそんな大層なもんじゃありません。日々、なんとなく送っている生活の中にも秩序はあります。朝起きて、ご飯食べて、歯を磨いて、洋服に着替えて、いつもの電車に乗って、学校に行って、などなど、それも一つの生活リズム=秩序です。部屋の家具の配置なんかもそうです。本棚の位置やテレビの位置、ベットの位置、洋服ダンスの位置など、それらが上手い具合に部屋のスペースと調和されていて、置かれているというのは一つの秩序です。
 
村上春樹の作品は、これらのささやかな秩序が壊された時、あるいは、壊されそうになった時に、個人はどう振る舞うべきか?をテーマにしてるのだと思います。村上春樹自身、「羊をめぐる冒険」を書き上げた辺りから30年以上もマラソンを生活の一部として取り入れ、走り続けています。毎朝起きて、毎日文章書いて、毎日走ってるそうです。そんな彼が日々の積み重ねを小説に書かないはずがありません。村上春樹=主人公の僕。は、似てない部分もあるけど、似ている部分もあると思います。つまり、日々の積み重ねを大切にすること。生活リズムを崩さないこと、など。
 
さて、それらが特に分かりやすかったのが「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でした。この小説では、「秩序と個人」が露骨に書かれています。この小説は「世界の終わり」という章と「ハードボイルドワンダーランド」という章の二つで構成されています。
 
「世界の終わり」の章では、壁に囲まれた空間で、個人が生活リズムを整え、秩序を作り出すお話。この章では秩序が丁寧に描かれています。春、夏、秋、冬の季節の移り変わり。門番が一角獣を壁の外に出したり中に入れたりをするくだり。主人公の僕が頭骨をくる日もくる日も眺めることなど。

もう一方の「ハードボイルドワンダーランド」は、主人公がなんだかよく分からない事件に巻き込まれて、秩序が崩されていくお話です。小説の中でも、仕事を定年まできっちりやって、老後はゆっくりと暮らしたいと思っていたのに、なんだかよく分からない奴らが来て、それも叶わなくなろうとしている。と言ったセリフがあったように思います。

「ハードボイルドワンダーランド」の僕は、自分の生活をぶっ壊されても、なんとか、立ち上がろうと努力を続けます。だって、普通に生活をしていたら、窓を破壊され、家中の物が壊されたり、事件に巻き込まれたりしたら「めんどくせェな」って思うだろうし、生きる気力も無くなるような気がします。僕だって、部屋にある400冊ばかりの文庫本がライターの火で燃やされでもしたら、発狂するか、もう本なんて読まなくなるだろうと思います。でも、村上春樹の小説に出てくる主人公は、自分の生活や秩序がぶっ壊されようとも、自分なりの正しさを持って生活を立て直そうとします。そこに僕は共感します。

ノルウェイの森だって、次から次へと友人が自殺して行ってるのに、主人公のワタナベ君はけろんとしています。あるいは、防衛本能で、なるべく感情を出さないようにしてるのかもしれません。彼も相当な動揺があったはずですが、でも、誰が死のうと、どうなろうととにかく懸命に生きよう、というその姿勢に僕は胸を強く打たれます。

なんだか、まとまらなくなってしまった。もう、良いや終わりにしよう。文章が下手くそだ…やる気失せた。パラフレーズの連続だ。良いんだよ、うん、テキストを読んで客観的な答えを導き出すなんて、そんなの文学者がやれば良いことだ。あるいは、センター試験の小説問題を一生懸命に解いてる奴に任しておけば良い。まあ、センター試験の小説問題は、文学研究者になるためにテキストを限りなく客観的に読むことの訓練ではあるんだけど、正直言ってツマラナカッタ。解釈を限りなく客観的にし、一つの答えを導き、且つそれ以外の解釈を排他する。それが文学研究者のお仕事だろうと勝手に思っています。僕はいち読者ですし、テキストを読んで好き勝手に感想を述べているだけで、満足です、うん。

あー。

 

 

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)