読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

When I talk about graduation, What I talk.

僕は今日が来るのをずっと恐れていました。今日のことを数ヶ月も前から想像しては、激しい喪失感を抱いてきました。時間は前に進み続け戻ることはありません。そんなことは誰だって分かっています。どんなに嘆こうと、明日、また明日、そしてまた明日と人生最後の瞬間が過ぎ去っていくものなのです。

今日は先輩の卒業式でした。
ふん、なんだたかが卒業式じゃないか。卒業した後、いつでも会えるじゃないか、と思うかもしれません。確かにそうなんです。確かにそうなんですが、そのことを分かっていても、とても悲しい気持ちになってしまう自分がいました。

そのことは今日、いつもの喫煙所に行って、より一層胸にこみ上げてきました。僕とその先輩は、ゼミが一緒でした。平和と思想が僕たちのゼミの研究テーマです。ゼミの授業が終わった後はいつも、先輩と僕は「何かが物足りない」という気持ちをお互いに共有し、いわば暗黙のルールに従って、喫煙所に行くことになっていました。「じゃあ、いつもの場所で」と、お互いに目を合わせて…。自販機でブラックコーヒーを買い、タバコに火をつけて一口吸います。そして、コーヒーを一口に飲み一息付いたところで先輩が話をこう切り出すのです。

「つまり、先生は今日なにを言いたかったのかなぁ」と。僕と先輩は、先ほど終わったばかりのゼミの議論の続きをやるのでした。平和とはなにか?という考えても考えても答えの見えない永遠のテーマについて語ったこともあれば、善とはなにか(それは先輩の個人研究のテーマでした)について話しあったこともありました。それ以外にも、時に文学の話を、時に哲学の話を、時に人生について、時に女性についての話を、どれも納得のいく答えには辿りつかないものばかりのものをテーマにしていました。でも、いま振り返ってみると、答えがなかったからこそ、僕と先輩は延々と同じテーマについて話し合うことが出来たのかもしれません。あるいは完結したテーマを話し合うことは、つまりは、このゼミの後の喫煙所における二人の習慣を断ち切ることになってしまうのではないか、そうとも思っていたのかもしれません。意識的にではなく、無意識のうちに…。

とにかく、僕はこの時間をとても大切に過ごしていました。文学的、哲学的議論をタバコを吸い、コーヒーを飲みながらの話し合う時間を大切にしていました。ドストエフスキーの「罪と罰」について。カントについて。ニーチェについてのあれこれ。時として、お互いに手の負えない問題について話し合うこともありました。つまり、永久に理解出来ないであろう女性のことについてでした。話の細かい部分のほとんどを忘れてしまいましたが、時におかしく、時にシリアスに話したことくらいしか思い出せません。

先輩は「女性のことはよくわからない。よくわからないけど、わからないことが分かっただけでも、小さな一歩なのかもしれない」と、詩人めいたことを言っていたようにも思います。これについては、今でも僕はよくわかりません。これからもわからないでしょう。いずれ僕に恋人が出来た時に、きっとこの言葉を思い出すことだろうと思います。そうか、わからないことから始めるのも良いのかもしれない…と。

そうこうして、一日、また一日、そしてまた一日と過ぎていきました。先輩の卒論提出前には、この喫煙所における議論が中止になったことがありましたが、それ以外は、かかさず行っておりました。そして、先輩の卒業が間近になってきた時には、まるで余命を宣告された患者がその日、その日を愛おしく生きるかのように過ごしました。でも、結局はいつか終わりが来るのです。始まりがあれば終わりが来るのでした。

そのことを強烈に胸に刻みつけた日が、やはり今日でした。今日、僕は卒業式が終わったあとに先輩と会うことになっていました。メールで連絡をして、学校にはいるということが分かったのですが、具体的にどこの教室にいるのかまでは伝えられておりませんでした。連絡が来ないままあちこち動き回っているうちに、もしかしたら…と頭にふと浮かんできた場所がありました。足の向かう先は一つだけでした。いつもの ー ゼミの終了後に完結することないテーマについて語り合った場所 ー 喫煙所です。あそこにいけば、きっと先輩はいるだろうと、そう思ったのでした。自販機でブラックコーヒーを二つ買って僕はそこに向かいました。そこに向かう途中、卒業したことについて一言二言述べたあと、将来について、あるいはいつもの文学的、哲学的な議題の話をしようと、考えていました。いつもの喫煙所は図書館の裏口にあります。図書館の棟までの階段を上り、自動ドアをすり抜け、キャリアセンターや保健センターやカウセリング室をまっすぐ通り過ぎたあと、一つ角を曲がりました。そこの角から、少しだけ喫煙所が見えました。だんだん視界の幅が喫煙所に埋め尽くされていくにつれて、僕はいいようもない喪失感が胸にこみあげてきました。そこに先輩はおりませんでした。その場所には、人1人としておりませんでした。文字通り誰もいませんでした。それが一層、喪失感を抱かせたのかもしれません。他の棟の教室にいるのだろうと、思って僕はその棟のある方向に歩を進めようとしました。その時です。僕にあるイメージが浮かんだのは…。

これから僕が卒業するまでの一年間、喫煙所に来るたびに喪失感を抱くに違いないだろうと、来るべき時のことを直感的にイメージし、理解しました。そこの場所にあったいつもの文学的な会話も、哲学的な会話も、女性についての難題もなにもかもが終わってしまったのだ、と。

僕はコーヒーの缶をあけて、一気に喉に流し込みました。そして、タバコに火をつけて一口吸いました。これからは1人でここの喫煙所で、過ごさなければならないと思うと激しい喪失感に襲われました。もちろん同期に友達はたくさんいます。いますが、やはり先輩との尽きない議論は他の人たちと過ごす時間とは、また違ったものがあるのです。でも、もうそれが終わってしまったのだ、と。

このようなかたちで、あれこれと考えを巡らしていると、腰を誰かにつねられているような感じがしました。実際に誰かに腰をつねられていました。後ろを振り返るとそこに先輩が立っておりました。

「卒業おめでとうございます」と言い、コーヒーを渡し、タバコを一本差し出し、ライターで火をつけました。先輩は一口吸ったあと「卒業しちまったよ」と、まだなにか思い残したことがあるかのようにポツリと言葉を地面に落としました。

そのあとは、二人で黙ってタバコを吸い、コーヒーを飲んでいました。何分かそうしたあと、ついに先輩がこう口を開いたのでした。

「俺さ、この前、カラマーゾフの兄弟読んだんだけど、あれはやっぱり凄いな。登場人物のセリフの一つ一つに共感できるんだよ。それにまるで登場人物が意思を持って生きているかのようでさ…」と。

僕はこの会話をずっと待っていました。
なにもかも最後の最後までいつも通りだった、と。これで、今日一日も充実感で満たされて終わるのだろうと…それと同時に、喪失感に襲われるだろうことも。

ドストエフスキーについて、カラマーゾフ兄弟についてお互いに話をしたあと「このあとすぐに卒業パーティがあるから、まぁまた連絡するよ」と言って、先輩は帰って行ったのでした。

僕の日記はこれで終わりです。
記憶を一つ一つ辿り、整理するために書きました。読み返してみて、なんか水くさいな、と思うことはありますが何か形として残しておきたいと思ったので書きました。

明日、また明日、そしてまた明日。人生最後の瞬間が過ぎ去っていく。と、シェイクスピアがそう言っていた気がします。今の僕の気持ちはまさにこんな感じです。ありがとうございました。卒業おめでとうございます。それでは、またいつか、大学の図書館裏口のあの場所で、哲学的議論をする日を心待ちにしております。

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)