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If you really want to about it,

If you really want to hear about it, the first thing you'll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don't feel like going into it, if you want to know the truth.

これはThe cather in the Ryeの冒頭の一文です。僕は野崎訳の「ライ麦畑でつかまえて」と村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の両方を読みましたが、やっぱり翻訳者によって作品のトーンが違ったりするので、原文に当たってみようと思った次第であります。

でも、冒頭の一文を読んで僕は恐怖を覚えました。最初なんですよ、最初。原文では、「If you really want to hear abou it」と大文字でしかも太文字で書かれています。ここに僕はサリンジャーの怒りのようなものを感じずにはいられなかった。「もしも、本当に僕の話を聞きたいのであれば」と、さら〜とは読ませない何かがあります。思うに「読んでもいいけど、あとはどうなっても知らないよ」といったニュアンスが含まれているような感じがして、僕はこの先を読むことが出来ませんでした。もちろん何ページかは読みました。内容は翻訳本で読んでいたので、多少英語力が追いつかなくても読むことは出来ました。でも、やめてしまいました。

主人公のホールデンがいわば社会の中に自分の居所をどこに据えるかという話ですが、これって地獄巡りなんですよね。最初の方を読んでも、最後の方を読んでも、主人公はなにも変わっていない。最後は病院のベッドに放り込まれるわけですが、彼はきっと同じことをこれからも繰り返すだろうと思うんです。

んで、僕は何に恐怖を感じたかというと、読んでいて主人公のホールデンと地獄巡りでもがいているなか、安易な答えを求めてしまう自分がいたことです。つまり、社会は絶対的な悪で、純粋な人間は善だとする考えです。そこに行き着いてしまった先は、ジョンレノンの殺害だったり、レーガン大統領の殺人未遂だったりするわけです。

潜在的に自分もそうなってしまうのではないか、という恐怖です。もちろんそんなことはどうなるかわからない。たぶんならないだろうとは思います、絶対に。でも、原文を読んだらどうなるかわからないという恐怖はある。

「お前が聞きたいのなら話しても良いけど、どうなっても知らないからな」という最初の文章は警告だと感じ、僕は読むのをやめてしまいました。

話がどこにもいかないな…終わりに致します。キャッチャーについては色々と語りたいことはたくさんあるし、大学の友達とこの作品について話し合う機会でもあれば良いのですが…。

 

 

 

The Catcher in the Rye

The Catcher in the Rye