嘘を吐いたせいで、恋人と別れたお話。

僕はあまり家族の話をしたがらない。両親がどこで生まれ、どこで育ち、何をしてきたのか、そんなことを僕は一切話をしないようにしている。これらの事を聞くのは本当に親密な友人か恋人くらいなものだけど、彼等にはいつも適当な嘘を吐いてきた。

 

あれはかれこれもう2年くらい前の話になる。

その時、僕には恋人がいた。その恋人とは大学で知り合った。彼女は本を読むのが好きだったし、僕も好きだったので思い切って声をかけてみたのだ。思うに彼女は大学の講義が始まる前は何かを熱心に読んでいたような気がする。彼女の好きな本は僕が読まないようなものばかりだった。たしか女性の作家が多かったように思う。彼女からはフランソワーズ・サガンを教えて貰った。彼女の好きな本の1つに「悲しみよ、こんにちは」があった。僕はすぐにこれを買って、読んだ。というのも、あまり好まない小説を無理やり読んで、彼女と話をしたかったのだ。

 

「恋することは、ある人の不在を強く思うこと」なんて、いま振り返れば気持ち悪いことだらけだ。でもその時は、そのことを割と真面目に考えていた。

 

何度か神保町に行ってデートをした。僕の好きな古本屋を巡ったけど、彼女はあまり古本を好かないようだった。たぶん、古着が嫌いなように古本が好きじゃないのだろうと思った。誰かが触ったもの、ホコリ被っているもの、カビているもの、そういうのは好きじゃないのだ(僕はそんなの気にしないけどさ)。だから彼女は新品か、限りなく新品に近いものを買っていた。デートの最後は、二人で大量の本が詰まった袋を抱えながら、バーに行って外国産のビールを飲んだり、ケーキを食べたりした。

 

そんなこんなで、僕は彼女と付き合うことになった。

彼女は都内にアパートを借りて住んでいたので、僕は何度も遊びに行った。

遊ぶなんて大したことじゃない。彼女の部屋は本棚と本くらいしかなかった。テレビも置いてないし、ゲームもしない。だから、彼女の部屋に行ってすることは本を読むことくらいなもんだ。とにかく僕と彼女は朝から晩まで椅子に腰かけ、本を読んだ。僕がヘミングウェイを読み、彼女は小川洋子を読むといったように、同じ場所にいて、違う本を読み、違う世界の中で過ごした。一日の最後に「その本どうだった?」と聞き「面白かったよ」と答える。お互いに読む時間を干渉しないというのが、僕と彼女の暗黙のルールだった。だから、本に飽きて暇で他のことをしたいと思っても、彼女が本を読んでいたら僕は黙っていることにした。そうして僕と彼女の日々は過ぎていったのだった。

 

僕はそれから1年半も付き合った。僕にとっては長く続いたと思う。破局を迎えることになったのは、彼女が僕との結婚を考え出した時だった。驚くべきことに、それまで僕と彼女はお互いの事を話し合ったことがなかった。お互いに干渉し合わないでいるということは、お互いのプライバシーを尊重するということでもあったのだ。ある日、彼女は僕に家族のことを聞いた。「どんな家族なの?」と。僕はそれに答えなかった。何日かして、彼女が不機嫌になった。「どうして話さないの?」と彼女は聞いた。「話すべきことがないから」と僕は言った。それが原因で、彼女は僕に対する不信感を募らせていった。そんな状況に終止符を打つため、僕は適当な話をデッチ上げた。小説はとことん読んでいた。だから1つや2つ架空の家族の話をデッチ上げることくらい僕には容易いことだったのだ。次に聞かれた時に、デッチ上げた家族の話をしようと思って頭の中で考えていた。いつかいつかと待っていると、その日は、なかなか来ないものである。一ヶ月後くらいに彼女が再び聞いてくるまで、家族に関する話題は上らなかった。「お母さんどんな人?」と、彼女は僕にこう聞いてきた。だから僕は「母さんは、いわゆる純日本人って感じだよ。専業主婦で、家事ばかりやっている。園芸が趣味で、庭には色とりどりの花が咲いているし、玄関前なんて特に綺麗なんだよ」と言った。「写真ある?」と彼女が聞いてきた。僕はドキっとした。「写真はいまはないよ」と答えた。「今度、撮ってきて私に見せてよ」と彼女は言った。「分かった」と僕は答えるしかなかった。その日から僕は、僕の吐いた嘘で自分を苦しめることになった。母はなんもしていなかった。園芸も趣味じゃない。庭なんて都会に住んでるからほとんど無い。困ったことになった。僕は話をデッチ上げた後のことまで考えていなかったのだ。彼女は僕に対して不信感を募らせていたし、もしも、嘘が嘘だと分かったなら彼女はますます僕を嫌いになるだろうと思った。

 

僕は花を買うことにした。植木鉢も買った。でも庭はどうしようもなかった。

だから適当な場所を見つけて、適当に写真を撮って、彼女に送った。

「ほらね、凄いだろ。」と嘘を吐きながら。でも彼女の目は騙せなかったようだ。

そんな姿を、いま想像すると滑稽だけど、けっこうシリアスだった。

色々な工作と、色々なデッチ上げのせいで僕の頭はパンクしそうだった。どこかで僕の話に矛盾が生じていたに違いない。その時の僕は気が付かなかったけれど、彼女はひとつひとつ僕の話を覚えていて、その矛盾のせいで頭が混乱していた。

 

大学が終わり夏休みに入ろうとしていた。入道雲があちこちに出来、激しいスコールがいくつか降った。

 

「夏休みだし、今度、あなたの家に遊びに行ってもいい?」と彼女は聞いてきた。

「いや、それは困るよ。僕の部屋は散らかっているし、母さんや父さんはそういうのに厳しい性格なんだよ」と僕は答えた。

「どうして?」と彼女は聞いた。

「だから、僕の母さんと父さんはそういうのに厳しい性格なんだよ」と言った。

「どうしてって、この前、家族はとてもフランクで、明るくて、どんな人でも家に来れば歓迎してくれるっていったじゃない。愉快な家族だって私は聞いたわよ」と彼女は僕が以前に話したことを蒸し返してきた。彼女はこうも続けた。「ラブラドールの黒を飼っていて、海に散歩するのが好きだって言ってたじゃない。でも、私はあなたのラブラドールや海の写真を見たことはないのよ。いや、あなたと一緒に写っている写真を、ということだけど」と言った。

「それは本当さ」

「じゃあ、見せてよ。」

「それは困る。」

「どうして?」

「困るから困るんだ。僕は僕のプライバシーがあるから」

「プライバシーなんて、もはや必要ないでしょ私たち。これからのことを考えれば、お互いのことについて知っておくのは重要だと思う」

「いや、でも困るんだ。本当に、本当に困る」

「どうして?」と聞かれた。僕は仕方なく全てを打ち明けることにした。

「僕は、嘘を吐いた」

彼女はとてもショックを受けたようだった。どうして?も、なんで?も無かった。

だから僕は自分の話をさらに続けた。

「僕は嘘を吐いた。というのも、僕はそうしなければならなかったんだよ。今まで話したのは僕が描いた理想の家族像なんだ。ああであって欲しい、こうであって欲しいと僕は色々想像して、それを君に伝えたんだよ。何一つ事実なものはない。僕は最初から最後まで架空の家族のことを話した。園芸も、ラブラドールの黒も、海もない。家族もフランクな人達じゃない。その逆だ。重苦しく、家にいれば誰だって逃げ出したくなる。ずーっと空気は張りつめていて、何もしゃべることも出来ない。両親は年中喧嘩だらけさ。まともに向きあうこともない。常に怒鳴り合い、罵り合っている。僕はそれにウンザリしている。とことん僕はウンザリしている。どうして嘘を吐いたかって?そんなの最初から分かっていたさ。そんな家族の話をしたとしたら、君はどう思うかと考えたんだよ。行き着いた先は絶望的だったよ。だから、僕はすべてデッチ上げたんだ」と僕は言った。さらに話を続けた。「専業主婦なんて奴隷と同じさ。毎日、毎日、家事に追われる。夫の愚痴も聞かなくてはならない。外に出ようにもお金がないからどこにもいけない。出来ることと言えば携帯のゲームかインターネットくらいなもんだ。僕の母さんはね朝から晩までネットの世界で生きているんだよ。母が小さな画面に向かって微笑む姿を見るたび、僕は気分が落ち込むんだ。」

「それも嘘なの?」

「嘘じゃない。これは本当だ。事実だけを語っている」

「嘘ばっかり」

 

それから1週間が過ぎ。彼女からメールが届く。

「あなたの家族なんてどうでも良かったの。問題なのは、あなたには誠実さが欠けているということね。さようなら」

 

僕の人生はつまりそういうことだ。

嘘を吐くな、いつか、それは自分を苦しめる。

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

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