宮本輝「本を積んだ小舟」

僕はあまり本を読まない人間だった。国語の成績は良く無かったし、小説を読んでも面白くないし、目は疲れるし、頭は痛くなるし、じっと30分同じ姿勢でいるのも辛い。とにかく避けて来たわけだ。

他方、僕の祖父は大変な読書家で長崎の祖父母の家を訪れると本棚に日本文学全集がビッシリと詰まってる。夏目漱石芥川龍之介堀辰雄谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫宮沢賢治、などなどだ。本棚にずらーっと並んでる本を見るにつけ「いつか、こういうのは読まなくちゃいけないんだな」と思っていた。母も祖父の影響もあって大変な読書家だった。とりわけイギリス文学や児童文学のことになると、かなり詳しかった。例えば、僕が「この児童書面白いんだけど」と母に話を持ち込むと「それはもう随分昔に読んだわ」と必ず返ってくる。いつも寝てばかりいるのに、いったいいつ読んでるんでしょう、不思議です。

話を元に戻すと、小・中・高とずっと本から避け続けて来たけれど、一冊だけ好きな本があって今でも大切に持っています。あれは確か国語の教科書に載っていたと思うんだけど、宮本輝の「本を積んだ小舟」という書評です。

普段、国語の教科書なんてロクに読まないのに、宮本輝の文章を読んだ時「なんだこの世界は」と驚いたのを覚えています。数学の授業の時にも、理科の授業の時にも、英語の授業の時にも、「つまんないなあ」と思った時には机の引き出しから国語の教科書を取り出し「本を積んだ小舟」を読んでました。

正確に言うと、「本を積んだ小舟」の中の「ファーブル昆虫記」という章です。簡単に説明すると、若かりし宮本輝さんが、友達から純白の鳩(鳩の観察日記を付けることに)とファーブル昆虫記を貰ったのが始まりです。その純白の鳩は病弱でどうしようもないわけですが、この純白の鳩から宮本さんは「死生観」を導きだすんです。この純白の鳩は感染症を患っており、その雛も飼っていた犬に噛み殺されてしまいます。泣きながら雛の死体を川に流す最後のシーンが僕は今でも脳裏から離れられません。

結局、宮本輝さんは、夏休みの宿題をほったらかして、ファーブル昆虫記も熱心に読んだみたいです。純白の鳩の死や雛鳥の死の前にジワジワと死生観を導きだす伏線が、ファーブル昆虫記なんですね。

宮本さんは、「スズメバチの電撃的な死」という項を引用して、「スズメバチというのは、なんの前触れもなくある日突然雷に打たれたかのように電撃的な死を迎える」と述べたあと「この世界、つまり宇宙の中にあっては人間も蜂も一瞬のことじゃないか」と書くんです。この言葉に頭をノックアウトされた時のことを覚えています。

「人間の80年と蜂の1年と何が違うんだ?死ぬ時はみんな死んじまうんだ」と。こんなことを言うと「お前は死にたいのか?」と問い詰められそうですが、そうではないです。ただそういう死生観もあるということを知るだけで、すっと心が軽くなったような気がします。もし何もかも嫌になってダメになった時は、この考えに頼ればいいわけですから。

本をつんだ小舟 (文春文庫)

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ファーブル昆虫記 (子どものための世界文学の森 20)

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