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よしもとばなな『おとなになるってどんなこと?』

読書

昨日、よしもとばななの『おとなになるってどんなこと?』を読みました。ページ数的、行間的に、30分くらいあれば読了できる文量です。それに、文章はとてもシンプルだし、わかりやすいし、とても読みやすい。ちょっと硬めの本を読んだ後に、肩凝りをほぐすような感じで読むのもよし、何かに行き詰った時に読むのもよし、暇な時に見つけて読むのも良し、とにかく手に取りやすい一冊です。

それはさておき、よしもとばななさんが「おとなになった時」について書いています。彼女は、「祖母や父親を思いやることができた時、自分は大人になったと意識した」と言っています。ばななさん的な大人になった瞬間です。僕もそう思います。でも、正直なところ24年間生きてきて、誰かを思いやることができた、あるいはそんな思いを心の底から嘘偽りなく抱いたことがあるかと振り返ってみると、無いかもしれないです。そう考えると、俺ってなにやってんだろうなーとふと思い知らされます。この本で気づいたんだし良しとしよう。

あと「友達ってなに?」の章が僕にはとっても胸に響きました。彼女に言わせれば、精神的な言葉で分かり合える友達と身体的な言葉で分かり合える友達があると。んで、精神的な言葉で分かり合えるというのは、つまり「こう生きたい」とか「こうなりたい」と言った人生に対する姿勢を共有している方だとおっしゃっています。もう片方の身体的な言葉で分かり合える友達というのは、昔からのなじみの付き合いで、同じ体験をしてきたり、同じ時間と空間を共有していて相手の呼吸を良く知っている友達だといいます。あー、なるほどなあ、と思います。以前、中学を卒業してからから10年近く疎遠になっていた友達にばったり駅であったことがあります。でもその時は、特に気にすることなく話ができたんですよね。リズム、息、相手との間などなどが自然に合ったんでしょうね。どうしてかはわからないけど、身体の言葉で相手のことを覚えてたんでしょう。

ばななさん的には両方とも必要なんだけど、ぼくの友達は圧倒的に後者が多いです。というのも「こう生きたいんだ」って伝えたり意見をぶつけたりするのはなんだか気恥ずかしくて出来ないから。たとえ話をしたとしても、あとで後悔して自分から離れていくという、なんとも特殊な癖を持っています。これまで何人親密であった、もしくは親密になりつつあった友達を失ったのだろう?と考えると、嫌になってきます。たくさん失ってしまいました。しかし、後者の友達はたくさんいます。きっとバランスが不安定なのですね。

ところでぼくは入学してからの友達には困らないのに、卒業してから自分の身の周りを見るとどうして誰もいないんだろう?中学、高校、大学とずっとそうなんです。あるのは、小学生の頃の友達だけです。何か間違ってるのかなあ。