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頭木弘樹「絶望名人カフカの人生論」

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

 自分の中にあるカフカ的なものの存在。ぼくはよく悩むし、あれこれ考え過ぎて自滅するし、年に一回はストレス性の胃腸炎で、寝込む。ポジティブに考えようぜって言われたってできるわけがない。なんならいっそのこと、ネガティブな人はネガティブさを深く掘り下げていけば一周回って、元気になれるかもと思ってこの本を手に取る。
 この本のコンセプトはまさに「楽しい時には楽しいことを、悲しい時には悲しいことを」だ。悲しい時には悲しい言葉を、絶望した時には絶望した言葉を、悩ましい時には悩ましい言葉によって心をより癒すことができるんじゃないか、そう筆者は主張する。
 まさにこの本の素晴らしいところは、あらゆることに絶望していたカフカの言葉が紹介されている点にある。数々の悩ましく、心の底の暗闇から搾り出した言葉は、読者に「絶望というよりもある種の滑稽さ」を感じさせてくれる。彼の言葉に触れると「こんなに悩まなくても良いのに」だとか「カフカの絶望に比べたら、まだまだ」とさえ思えるのだ。マイナスな感情をゼロまで引き上げてくれる。
 でも、この本の効用はそれだけじゃない。弱さから見えるものだってあるということを教えてくれるところだ。

ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない。

 強さは持っていない。でも、弱さなら持っている!という自負がこの言葉から読み取れる(というか、ぼくは左ページに書かれている著者の解説を読んで初めて知った)。でも、カフカの凄みというのは何と言っても人間的な弱みを持っていること。そしてその弱さを武器に文学へと昇華させていく。

ぼくは自分の弱さによって、ぼくの時代のネガティブな面をもくもくと掘り起こしてきた。現代は、ぼくに非常に近い。だから、ぼくは時代を代表する権利を持っている。ポジティブなものは、ほんのわずかでさえ身に着けなかった。ネガティブなものも、ポジティブと紙一重の、底の浅いものもは身に着けなかった。どんな宗教によっても救われることはなかった。ぼくは終末である。それとも始まりであろうか。

 この言葉にはカフカの作家としての姿勢を覗かせてくれます。でも、カフカが弱さを書くことによって伝えたかったことは一体何だったのだろう?
 ネガティブってだけで嫌われる。面倒くさい。なるべくなら関わりたくはない。そう思っている人が少なからず社会にはいるかもしれない。でも、果たして本当にそれで良いんだろうか。ぼくはこの本を読んでひとつ気づく。それは、「自分が弱くなって初めて知ることがある」ということ。例えば、目が見えなくなって初めて知る「見えること」の有り難さがに気づき、病気になれば、誰かが看病してくれることに気づく。(その時に、「自分は一人じゃなかった」と同時に知ることだってできる)。病気になって利益を得ることだってあるのだ。
 普段、蓋をしがちなネガィティブさに目を向けることによって、弱さを見つめることによって、初めて知ることができるものをカフカは伝えたったのかなと、思う。